何のために生きるのか


配偶者が膵臓がんの宣告をされ半年後に亡くなってからもうすぐ一年を迎えます。

あわただしく葬儀を終え、その後やった事といえば家中の不用品の整理や庭づくりです。
とにかく夏の暑い盛りに汗だくになってゴミを捨て続けました。
手すりのペンキも塗りなおし温室の中も整理し、何も考えなくてもできることをただひたすらやり続けていました。

その時の私の頭の中は空っぽでした。

全くやる気がおきずただただNetflixで海外ドラマを見たり
本を読み漁ったりして時をやり過ごしていきました。
もちろん仕事はもっていましたが
コロナの影響で全く売り上げが上がらず開店休業状態です。

父が逝き、兄弟が逝き、夫が逝き、ペットが逝き。みんな死んでしまう・・・



私は何のために生きているのか。
生きていてやることがあるのだろうか。
子供も独立し自分の家庭を営んでいて私の力は必要としていない。
欲しいものも何もない。
私が生きる意味はあるのだろうか。
何を張り合いに生きよというのか・・・
こんな事を考え続ける毎日が続きました。

何もやることがなくなったからという理由で
自ら命を絶った音楽家の加藤和彦さんがいました。
こういうことなのか・・・。いまなら合点がいきます。

「何もやることがない」「なんのために生きていなくてはならないのかわからない」
90歳を目前に控えた母は常々そういっています。
家の中での転倒による車椅子の生活が長くなり、
最近は大腿骨頸部骨折によりベッドに横になっている時間も増えました。
主治医からは回復の見込みは期待できないと言われています。
人生に意義を見つけられないのです。みんな同じなんですね。

生きる意味って何だろう・・・

小学6年生の時、来年はもう中学生と気づいたときに
光陰矢の如しを実感して身震いをしました。
どんな人生を送っていくか子供なりに一生懸命考えてみました。
熟考の末、出した結論は『宗教か福祉の道に生きる』ということ。
残念ながら進路はその通りにはなりませんでしたが
『自分以外の人のために生きる&尽くす』という信条は未だ変わっていません。

必要とするところに供給するという原則に従えば
社会的立場の弱い老人や子ども達、
心身障碍のある人々、被災した人々、
難民として他国で暮らさざるを得ない人々に目が向きます。

特に生まれてくる環境を選べない子ども達の現状は悲惨です。
児童相談所は家庭で暮らせない子ども達であふれています。
まだ、保護された子どもはセーフですが
虐待や育児放棄で地獄の日々を耐え忍んでいる子ども達の数は
このコロナ禍で増える一方でしょう。

私の生きる目的はこの辺にあるのかもしれません。





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